卑弥呼は倭の国の女王と思われます。
宮殿に籠ってほとんど姿を見せることはなく、鬼道を使って国をまとめていたようです。
目次
魏志倭人伝の内容
乃共立一女子為王。名曰卑彌呼。事鬼道能惑衆。
『三国志』魏書 巻30 烏丸鮮卑東夷伝 倭人条
年已長大無夫婿、有男弟佐治国。自為王以来、少有見者。以婢千人自侍。
唯有男子一人、給飲食伝辞出入居処。
宮室楼観、城柵厳設、常有人持兵守衛。
ポイント
卑弥呼はあくまで倭国の女王であり、邪馬台国の女王だったと明記されているわけではありません。
魏志倭人伝の「南至邪馬壹国女王之所都」という記述から邪馬台国に女王がいたことが分かります。
しかしその後は倭国の気候や風土などの話が続き、しばらく女王も邪馬台国も登場しません。
いわゆる”倭国大乱”の話で再度女王という文字が登場し、名前が卑弥呼と明かされますが、邪馬台国という文字は出てきません。
ここで言う女王・卑弥呼は邪馬台国の女王を指しているという考えが定説です。
一方で、卑弥呼は邪馬台国とは別の倭の国の女王であって、邪馬台国の女王とは別人とする説も存在します。
また、卑弥呼の殉葬者は100人ほどであり、大きな権力者であったことも分かります。
墓についての詳細は後述します。
卑弥呼に関して分かっていることは、実はこれだけです。
元々王族だったのか、巫女のようなことができたことで村人から王まで上り詰めたのか…
豪華な服装だったのか、質素な身なりだったのか…
どういった性格だったのか…など、人物像として詳しいことは不明です。
なお、よく見る卑弥呼の肖像画は、1968年に安田靫彦が発表した作品であって、弥生時代近辺に描かれたものではありません。
参考:滋賀県立近代美術館公式ブログ
滋賀県立近代美術館 公式ブログ


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