卑弥呼は、言わずと知れた邪馬台国の女王です。
しかし、実在したかどうかを含め、どんな人物だったのかは詳しく分かっていません。
このページでは、卑弥呼について分かっていることや、いろいろな人物比定説を紹介します。
「卑弥呼」の読み方
そもそも卑弥呼の漢字は、歴史書によって微妙に異なる漢字が使われています。
そのため、異なる漢字の人物たちが同一人物かどうかという議論から必要になってきます。
一般論では全て同一人物を指しており、一番使用頻度が高い「卑弥呼」という漢字を用います。
卑弥呼の字 | 史料 |
---|---|
卑彌呼 | 『三国志』魏書東夷伝 『後漢書』東夷傳 『隋書』東夷 倭國 『梁書』諸夷伝 |
卑彌乎 | 『三国史記』新羅本紀 |
俾彌呼 | 『三国志』魏書三少帝紀 |
人物像
乃共立一女子為王名曰卑彌呼事鬼道能惑衆
『三国志』魏書 巻30 烏丸鮮卑東夷伝 倭人条
年已長大無夫婿有男弟佐治国自為王以来少有見者以婢千人自侍
唯有男子一人給飲食伝辞出入居処
宮室楼観城柵厳設常有人持兵守衛
卑弥呼は倭の国の女王と思われます。
宮殿に籠ってほとんど姿を見せることはなく、鬼道を使って国をまとめていたようです。
鬼道
乃共立一女子為王 名曰卑彌呼 事鬼道 能惑衆
『三国志』魏書 巻30 烏丸鮮卑東夷伝 倭人条
卑弥呼は”鬼道”を用いて人心掌握して国を統治していたという記録が残っています。
鬼道が具体的に何だったのか、ということは分かっておらず、いろいろな説が乱立している状況です。

外交
卑弥呼は中国の魏国に使者を送り、友好または主従(関係性は諸説あり)関係を築いたようです。
卑弥呼の死と墓
卑彌呼以死大作冢径百余歩殉葬者百余人
『三国志』魏書 巻30 烏丸鮮卑東夷伝 倭人条
卑弥呼の死や墓については魏志倭人伝の内容が極めて重要です。
魏志倭人伝の「卑彌呼以死」をどう解釈するかで、卑弥呼の死因や死亡時期の推定が変わります。
人物比定説
卑弥呼は魏に使者を送り、倭の王として認められた存在です。
そのため、字のない当時の日本でも卑弥呼のことは伝承(口伝)として残されている可能性が高いと考えられます。
日本書紀や古事記をはじめとする、日本の古典史料に登場する人物が卑弥呼と同一人物であっても不思議ではありません。
そこで、卑弥呼は何者なのか、という論争が起こっています。

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