『漢書(前漢書/漢書地理志)』の信憑性

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漢書(前漢書、漢書地理志)について解説しています。古代日本(倭)の研究や邪馬台国論争において漢書は重要な史料です。

邪馬台国の時代よりさらに古い、紀元前の倭国の様子が記録されている『漢書』。
別名『漢書地理志』や『漢書地理志燕地条』とも言う漢書は、倭についての最古の記録であるとされています。

漢書は邪馬台国や倭国の話題でソースとして良いのでしょうか?信憑性を解説します。

目次

漢書とは

漢書は中国の王朝・前漢1について記した歴史書で、「本紀」12巻・「列伝」70巻・「表」8巻・「志」10巻の合計100巻で構成されています。

『漢書』における倭の位置付け
『漢書』における倭の位置付け

「志」の第8巻・地理志の燕地条(中国の燕国・燕州について記述した条)の中に、倭についての記述があり、これが倭についての現状最古の記録となっています。

そのため、日本では『漢書地理志』や『漢書地理志燕地条』という名で通っています。

他にも後漢書との区別から「前漢書」と呼ばれることもあります。

また、現在出回っている漢書は通常、顔師古(がんしこ)2がつけた注釈付きのものです。

中国の燕国・燕州とは?

燕国は、紀元前11世紀頃~紀元前222年(中国の春秋戦国時代)に存在した諸侯国のひとつで、現在の北京を中心とする領土を有していました。
西周時代から存在していたものの、春秋時代までは弱小国でした。
戦国時代に入ると「七雄」の一国に数えられるほど勢力を拡大しました。

最盛期の燕国は、朝鮮半島の南部まで勢力が拡大していました。
そのため朝鮮や倭については、燕地条に記載があるようです。

『史記』との関係

同じく前漢のことを記述している歴史書に『史記』があります。
『史記』は紀元前90年頃に完成していて、そこから前漢が終わる紀元後8年までの約20年分の記述がありません。
他にも『史記』には矛盾点や不統一性があるなど、内容に心もとない面があったようです。

そこで『史記』の後を引き継ぎつつ批判する形で、班彪が64編からなる”後伝”を作成していました。
その班彪の子である班固(はんこ)が『史記』と”後伝”を基に『漢書』を作成しています。
さらに、年表8つと天文志は班固の妹である班昭と経学者の馬続によって補完されました。

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編纂者生没年役職功績
司馬遷紀元前145/135年~
紀元前87/86年
前漢の歴史家紀元前90年頃に『史記』を完成
しかし前漢は紀元後8年までの王朝である
班彪3~54年後漢の歴史家『史記』を引き継ぐ”後伝”を作成
班固32~93年班彪の息子
後漢の歴史家・文学者
『史記』と”後伝”を基に漢書を作成
漢書の作成途中で獄死
班昭45~117年班彪の娘
中国初の女性歴史家
八表・天文志を書き継いで漢書を完成
馬続詳細不明学者班昭を助けたとされている
「後漢書」列女伝・班昭などから推測

資料データ

班固像
班固像
著者班彪、班固、班昭、馬続
成立年82年頃(諸説あり)

漢書は『史記』がベースになっています。

信憑性

総合評価
( 4.5 )
メリット
  • 歴史上の記録を重視した記述になっていて正確性が高い
  • 通史ではなく断代史(一つの王朝に区切った歴史書)なので内容が専門的
デメリット
  • 前漢時代以降に生まれた複数人で記載しているため細かい内容の正確性は疑問

『漢書』は二十四史と呼ばれる中国の正史の中で『史記』と並んで最高の評価を受けています。
特に歴史上の記録という面を重視されていることから、記述内容の正確性は『史記』より高いとされています

ただし実質前漢時代を生きていない複数人が記載しているため、細かい内容の正確性には若干疑問が残ります。

班彪は紀元後3年生まれとされ、前漢が滅んだ紀元後8年までの5年ほどは前漢時代を生きています。

漢書について

注釈・参考資料など

  1. 紀元前206年~紀元後8年の中国王朝 ↩︎
  2. 顔師古(581~645年)は唐の歴史学者 ↩︎
漢書(前漢書、漢書地理志)について解説しています。古代日本(倭)の研究や邪馬台国論争において漢書は重要な史料です。

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