甚兵衛の口上書 原文全文【解説なし】

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本記事では、甚兵衛の口上書の原文全文を掲載しています。現代語訳や解説は含まれていません。文意の理解には別記事の解説編もご参照ください。

邪馬台国論争に欠かせない金印の発見経緯は「甚兵衛の口上書」という史料に記載されています。
金印の真贋論争にも関わる、極めて重要な金印研究史料です。

こちらの記事では、原文のみを掲載しています。
解釈や補足説明を含まない構成となっており、原典の言葉に直接向き合うための資料としてご活用いただけます。
※文意の解説・現代語訳・学説比較については別記事にまとめております。

目次

『甚兵衛の口上書』

百姓甚兵衛口上書 大谷光男編『金印研究論文集成』より
百姓甚兵衛口上書 大谷光男編『金印研究論文集成』より

 那珂郡志賀島村百姓甚兵衛申上ル口上之覚
       
 私抱田地叶の崎と申所田境之中溝水行悪敷御坐候ニ付、先月廿三日1、右之溝形ヲ仕直シ可申迚岸を切落シ居候処、小キ石段々出候内弐人持程之石有之、かな手子ニ而堀除ケ申候之処、石之間ニ光候物有之ニ付、取上水ニ而ス々キ上見候処、金之印判之様成物ニ而御坐候、私共見申タル儀モ無御坐品ニ御坐候間、私兄喜兵衛以前奉公仕居申候福岡町家之方ヘ持参リ、喜兵衛 見セ申候へハ、大切成品之由被申候ニ付、其儘直シ置候処、昨十五日庄屋殿、右之品2早速御役所江差出候様被申付候間、則差出申上候、何レ宜様被仰付可被為下候、奉願上候、以上
                                      
 志賀島村百姓 甚兵衛 印

天年四年三月十六日3
 津田源次郎様
       御役所

 右甚兵衛申候通少モ相違無御坐候、右体之品掘出候ハ 不差置、速ニ可申出儀ニ御座坐候処うかと奉存、市中風説モ御坐候迄指出不申上候段、不念千万可申上様も無御坐、奉恐入候、何分共宜様被仰付可被為下願、奉願上候、以上
         同村庄屋 武蔵
 同年同月 日  組頭   吉三
         同    勘蔵
               
 津田源次郎様
       御役所

甚兵衛の口上書とは?

甚兵衛の口上書の詳細については、別途記事化しています。

出典

甚兵衛の口上書は、一般公開はされていませんので現物を見た人は一握りです。
基本的には、『研究史 金印』(吉川弘文館 1974年)をはじめとする金印研究者の大谷光男氏の著書・講演にしか登場しない史料です。

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注釈・参考資料など

  1. 新暦(西暦)では1784年4月12日 ↩︎
  2. 原文は縦書きのため、前の文は実際には右側に記述される。 ↩︎
  3. 新暦(西暦)では1784年5月5日 ↩︎
本記事では、甚兵衛の口上書の原文全文を掲載しています。現代語訳や解説は含まれていません。文意の理解には別記事の解説編もご参照ください。

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