『魏略』は魏志倭人伝の元になったという説もある、倭に関するいろいろな記述が残る史料です。
ここでは『魏略』に記されている倭国・邪馬台国に関する原文を抜粋して掲載しています。
現代語訳や考察などは別ページにてご案内しています。
原文
魏略は魏について記述されたものですが、ここでは、倭国に関する内容を抽出しました。
また、魏略は散逸している史料であるため、各書で魏略から引用している部分を記載しています。
『漢書』
『漢書』の原文には魏略からの引用がありません。
後年に顔師古が漢書につけた注釈の記載の中に、魏略からの引用文が掲載されています。
魏略云 倭在帶方東南大海中 依山島為國 度海千里 復有國 皆倭種
『漢書』卷28 地理志 燕地 顔師古注
漢書については、以下を参照してください。

『北戸録』
『北戸録』の著者は段公路ですが生没年不詳で、唐時代の書物とされているものの成立年も不明です。
原文を読む@国立国会図書館
北戸録 卷2 鶏卵卜(鶏卵卜の条はP36、倭国についての記述はP37)
2025.01.12 閲覧確認
魏略曰高句麗…(中略)…
『北戸録』 卷2 鶏卵卜
倭国大事輒灼骨以卜先如中州令亀視坼占吉凶也
「坼」という字は裂けるという意味です。
古代中国(殷王朝の頃)では、亀の甲羅を焼いてできた裂け目を使って占いする亀卜(きぼく)という文化が存在したようです。漢の時代には廃れ始め、唐時代にはこの文化は廃れていたとされています。
現状日本で見つかっている最古の亀卜の例は、神奈川県三浦市の間口洞穴遺跡で出土した古墳時代後期のものです。

『三国志』(魏志倭人伝)
『魏志倭人伝』の原文には魏略からの引用がありません。
後年に裴松之がつけた注釈の中に、魏略からの引用文が掲載されています。
魏略曰其俗不知正歳四時但記春耕秋収為年紀
『三国志』巻30 魏志 烏丸鮮卑東夷伝 倭人条 裴松之注
魏志倭人伝については、以下を参照してください。

『法苑珠林』
『法苑珠林(ほうおんじゅりん)』は道世が著した全100巻からなる仏教典籍で、668年成立とされています。
法苑珠林には魏略からの引用が多数収録されていて、その中に倭に関する話もあります。
魏略曰倭南有侏儒國其人長三四尺去女王國四千餘里
叢書『四庫全書』内の『法苑珠林』 巻8
仏教用の本であるためか、ネット上ではあまり詳しい解説や原文が扱われていないようです1。
当サイト管理人が探す限り、ネット上で確認でき、且つ、ある程度信頼できる原文は以下のリンクです。
中国最大の叢書2『四庫全書』の中に収録された『法苑珠林』 の巻8の内容です。
原文を読む@维基文库 ※中国のWiki的なものです
2025.01.12 閲覧確認
『翰苑』
翰苑の原文には、注釈として魏略からの引用が記載されています。
魏略曰 従帶方至倭 循海岸水行 暦韓國到拘耶韓国七十餘里 始度一海 千餘里至對馬國 其大官曰卑拘 副曰卑奴 無良田 南北布糴 南度海至一支國 置官至對同 地方三百里 又度海千餘里 至末盧國 人善捕魚 能浮没水取之 東南五東里 到伊都國 戸万餘 置曰爾支副曰洩溪觚柄渠觚 其國王皆屬王女也 女王之南 又有狗奴國 女男子爲王 其官曰拘右智卑狗 不屬女王也 自帶方至女國万二千餘里 其俗男子皆點而文聞其舊語 自謂太伯之後 昔夏后少康之子封於會稽 断髪文身 以避蛟龍之吾 今倭人亦文身 以厭水害也
『翰苑』巻30 蕃夷部
翰苑については、以下を参照してください。
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